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「アウトサイダー・アート入門」 [本]

「アウトサイダー・アート入門」  椹木野衣 著


アウトサイダー・アートを知ったのは
恥ずかしながらここ2~3年のことで、
初めて観たときは、そこに何が表されているのか分からずとも
揺るぎない存在感を放つことにただ圧倒されてしまった。
その後、興味を持ちはじめていろいろ調べていたところ、
今年の3月に本書が刊行された。

アウトサイダー・アートとアール・ブリュットは
同じものを指すが、著者は意図的に
“アウトサイダー・アート”という言葉を用いる。
それがつまり、本書の主題とするところである。

アール・ブリュットは無垢の芸術という意味であるため、
文教政策に都合のいい言葉だが、
対してアウトサイダー・アートはいわゆる“外道”で、
犯罪者なども含まれるのだと著者は言う。
芸術は純粋なものではないし、
むしろ悪意や暗い思いから
生まれてくるのだという話を聞き、
近頃アール・ブリュットがにわかに話題になっている
理由がようやくわかった。

本書で取り上げられるのは、美術の専門教育を
受けていない、あるいは知的障害などを持つ作家たちである。
ヘンリー・ダーガー、フェルディナン・シュヴァル、
渡辺金蔵、田中一村、山下清など、
有名無名問わず、欧米と日本からバランスよく紹介されるが、
個人的には初めて知る名前が多かった。

彼らはおしなべて、肉親や近しい人の死、自然災害、貧困など、
なかには壮絶といえるほどの苦境や孤独を経験している。
そして、その経験があったからこそ芸術に向いたのだ。
さらには、孤絶のなかからしか芸術は生まれないと、著者は言う。
また、そうした意味においてもすべての芸術は
“アウトサイダー・アート”と言えるのだ、と。

なかでも最も強烈なのは、大本教をひらいた出口なおである。
貧困や肉親との別離など、さまざまな試練の後、
座敷牢に閉じ込められ、飢餓状態にあったときに
託宣が降り、お筆先を行ったという。

ぎりぎりまで追いつめられたなかから生まれたという
力強い文字は衝撃的だ。

また、六本木ヒルズに置かれているクモみたいな
オブジェの作者であるルイーズ・ブルジョワの場合は、
正規の美術教育を受け、世間的にも高い評価を得ている
“インサイダー”ではあるが、
複雑な家庭環境に育ち、深い闇のなかから
芸術を生み出したことによって、アウトサイダーとみなされる。

アウトサイダーたちの“作品”は、そもそも
人に見せるために、あるいは芸術性を追求するために
生み出されたものではない。
彼らの本能の赴くままの魂の発露の結果であることから、
いわば日記のようなものではないかと思う。
それをたまたま発見した人がいたため世に出たのであって、
発見されなければ誰に知られることもなく、
彼らの死とともに闇に葬り去られたかもしれないのだ。
ということは、世の中に知られざる
アウトサイダー・アーティストは
あまた存在するだろう。
ただ、見いだされることがなく、私たちが知らないだけなのだ。

************************

本書の刊行に合わせて、著者の椹木野衣氏と
アーティスト会田誠氏のトークイベントが開かれた。
[5月31日(土) 池袋コミュニティカレッジ]

会田さんは、本書に登場する人物がみな別離や孤独など、
さまざまな試練を経験していることをひいて、
子供のころから絵が巧くて美術系の大学に進み、
家族が健在で、しかもモテたりする、いわば“リア充”では
芸術家になれないのかと思い、読むのがつらかったと
自嘲交じりに語った。
慎重に言葉を選びながら、
素直に、ときにユーモアを交える語り口が
とてもチャーミングだ。

一方、椹木さんは分かりやい言葉で
アウトサイダー・アートをひもときつつ、
興味深い話をしてくれた。
子供が生まれてから、芸術のみかたが変わったというのだ。
刻々と変わりゆく子供は生命そのものである。
同じように、変わり続けるプロセスのような
アートはないのだろうか、と思ったのだそうだ。

モダニズムは“just now”、つまり
終わりがなく、完成することなどない。
生命=アートとすれば、誰もがアーティストになりうるのだと。

ところでトークイベントの終盤、
小笠原沖を震源とする大きな地震が起きた。
少し中断したが、変わらない口調で淡々と話し続ける
椹木さんはどことなく面白かった。
「地震も生命のあらわれだ」と。
なるほど、芸術とは永続的なものということだろうか。


単なるウオッチャーの私が芸術に求めるものは
基本的には日常からの解放と好奇心なのだと思うけれど、
彼らの作品に惹かれる私もどこか、
アウトサイダー的なのかもしれない。

椹木さんは、アウトサイダー・アーティストはみな
後天的な芸術家であり、
後天性とは、だれにでも起こりうることだと言った。

まったく無垢でいられる人なんて滅多にいられるものではない。
だから、作る側だけでなくて、
観る側の私たちにも芸術が必要なのではないか。
ふたりの言葉は示唆に富んでいて、
芸術への新たな視点を与えてくれた。
今後、芸術作品にふれるときには、
今までより一歩踏み込んだみかたができるかもしれない。

アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)

アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)

  • 作者: 椹木 野衣
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2015/03/25
  • メディア: 新書



『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』 [本]

3年くらい前に書いて、(たぶん長いから)お蔵入りしていた記事を、
最近発掘してあらためて読んでみたところ、
残しておきたい部分があったので、アップした次第。
(データ部分は、直近のものに更新した)


『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』
デイヴィッド・ミーアマン・スコット、ブライアン・ハリガン 著
糸井重里 監修/渡辺由佳里 訳

昨今の音楽市場の動向が興味深い。
ここ数年、急速に拡大している有料音楽配信の売上実績を見てみると、
2005年は34,283百万円だったのが2011年には71,691百万円とほぼ倍増し、
2014年には43,699百万円に再び減少している
(「一般社団法人 日本レコード協会」調べ)。
一方、音楽ソフト種類別生産金額は2000年の539,816百万円に対し、
2014年には254,176百万円と、半分以下にまで減少している(同)。
CDなどのソフトに代わり、
デジタルコンテンツを購入する機会、あるいは人口が
増加していることのあらわれだ。
コンテンツのデータ化が着実に進んでいる状況を
あらためてうかがい知ることができる。

1979年、ソニーのウォークマンが登場し、音楽を街に連れ出した。
その後、音源のデジタル化が進むとともに
カセットテープからCD、MD、デジタルオーディオプレーヤーへと
モバイルツールのコンパクト化も進み、
外出時に音楽を携帯するスタイルは私たちの新たな習慣として定着した。
また、これは音楽に限ったことではないが、
技術が発達するにつれてコピー時のデータ劣化が少なくなり、
そのおかげでコピーペーストにより増殖したコンテンツが
世の中に流通するようになった。
その結果として、知人や友人、あるいはインターネットを介した
コミュニケーションを通してコンテンツを共有する機会も増えている。

さらにもうひとつ興味深いデータがある。
「一般社団法人 コンサートプロモーターズ協会」の調査によれば、
いわゆる“ライブ”の年間公演数は2000年の10,500本に対し、
2013年には21,978本とほぼ倍増。
年間売上額についても、82,592百万円から231,832百万円と
3倍近くにまで増加している。

単純に公演数が増えていることもあるだろうが、
データという形でしかも低価格(ときには無料。違法にあたる場合もある)で
手軽に音源を手に入れることができるようになった半面、
“わざわざその場に行かないと体験できない”音楽に、
ユーザーが価値を置くようになったことがうかがえる。
その変化の背景には、逆説的ではあるが、
インターネットの普及の影響があるだろう。

ホームページやブログ、You Tube、ニコニコ動画、U-streamなどに
動画をアップすることが簡単にできるようになり、
“そのとき、その場で”しか見ることのできないはずの動画を
“いつ、どこにいても”見ることができるようになってしまった。
しかし、そうした間接的な“鑑賞”は、
その場にいることの特権と稀少価値を鑑賞者にあらためて知らしめ、
実際に体験することの価値を上げたのだ。
ヴァーチャルがリアルを促したということだ。
パッケージ化されたコンテンツの需要は激減し、
デジタルコンテンツは限りなく無料に近づき、
実体験の価値は上昇していく。
そのため何をどう配信すればよいのか
戸惑うミュージシャンたちが少なくないようだ。
実際、CDが売れないといわれるようになって久しい。
新たな音楽配信の形態として、
ネットをメインにすればよいのかといえば、
それでは収入を得られない現状もある。
無料化できるものと、購入する価値のあるものとに仕分け、
バランスをとりながら配信することは、それほど簡単ではないだろう。

ひところブームとなったフリーミアム
(freemiam=基本的なサービスや製品を無料で提供し、
さらに高度な機能や特別な機能について
料金を課金する仕組みのビジネスモデル)は、
すっかり受け入れられたかのように見えるが、
現実的に取り入れるには難易度が高い。
初期投資がどれほどの収益を生むか、試算を重ねてみないことには
なかなか思いきることができないものだ。

ところが1960年代、そうした言葉も定義もない頃に、
フリーミアムを実践していたバンドがあった。グレイトフル・デッドだ。
彼らはライブの録音・撮影を自由化し、
さらにはそれを複製することも許可し、リスナーたちに開放した。
すると彼らの音楽はファンのネットワークを介して広がり、
認知度が高まり、レコードの売上やライブの動員数につながったという。

前置きがたいへん長くなったが、本書では、
グレイトフル・デッドがとった古くて新しいマーケティングのノウハウ、
および彼らと同じ手法で成功したビジネス例があわせて紹介されている。

それはたとえば前述したような音源の自由化や、
ファンを大勢引き連れた団体旅行のようなライブツアー、
業者を介さず自ら行ったチケット販売方法などだ。
紹介されるノウハウは驚くほどシンプルで、
突飛なアイデアや意外性はないように思える。
さらにいえば、“売らんかな”という姿勢も見られないのだが、
なぜそれが受け入れられたのだろうか。

グレイトフル・デッドのリーダーは、
人が音楽に何を求めているか、そして何をどう発信すれば伝わるのか、
本能的に分かっていたのではないだろうか。
押しつけでなく、まず自身が楽しむために何をすればよいのかを考え、
実現するための道筋を整えた。
さらには集まったファンたちを囲い込むことをせず、自発的な行動に任せた。
その結果として、ファンのニーズに応えるシステムが
徐々に構築されていったのではないかと推測する。
グレイトフル・デッドの音楽活動を見るにつけ、
ファンの心理を的確にとらえた自然な方法に思えてくる。
だがしかし、それがどの時代にも成功するかといえば、
そうではないのかもしれない。

グレイトフル・デッドが成功した一因として、
1960年代という時代の影響も少なくないだろう。
ベトナム戦争や公民権運動、中米の共産化などが起きた時代を
背景に持つバンドとそのファンたちは、
体制や政治への反意を共通認識として持ちやすく、
結束しやすかったのではないか。そのため、
自分たちが見出したものを気の合う仲間たちと共有することに価値を置き、
一部の特権階級が独占するものではなく、みんなが心地よく過ごせる
時間や場所こそを大事にしてシェアした。
すなわち、自分たちの居場所を探し求めた結果ともいえるのではないか。
コンテンツを自由化し、仲介業者を使わず、決まったセットリストを使わず
毎回異なるパフォーマンスを繰り広げる。
そうした手作り感や、あるいは“ゆるさ”が音楽に加えてバンドの魅力となり、
さらにリスナーを増やしていった。それはやがて
コミュニティに発展し、情報を発信し始める。
現在のSNSの原形といえるのかもしれない。

音楽の特性――即時に大人数で同じ体験を共有できる――が
コミュニケーションの深化に適していたともいえよう。
ほかのメディア(例えば演劇、アートなど)であれば、
スペースや時間の関係でうまくいかなかったかもしれない。
すぐれたマーケティングノウハウに加え、
いくつもの偶然が重なった幸運な結果だったのではないだろうか。

人は一体、音楽に何を求めるのだろうか。
いわゆる娯楽、あるいは教養としてのツールであると同時に、
人とつながるためのコミュニケーションツールとしての意味合いが、
日々増してきているのではないだろうか。
コンテンツが総デジタル化しつつある世の中にあって、
デジタル化できないムダの部分を欲している、とでもいおうか。
データに求められるものはスピードと正確性だ。
それだけで充分ことは足りるけれども、
そこからそぎ落とされたムダやムラ、揺らぎといったような
イレギュラー要素やハプニング性こそが人の心に響くことを
だれもが無意識のうちに感覚として知っていて、
人と共有し、つながるためのきっかけとしている。

ビジネスは、すべてが計算ずくにはいかない。
人が本能の部分で何を求めているのかを知り、
応えていくことが必要なのかもしれない。
そうした原点を探ることにビジネスのヒントがあるということを
示唆しているようにも思えてくる。

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ

  • 作者: デイヴィッド・ミーアマン・スコット
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2011/12/08
  • メディア: 単行本



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『恋するソマリア』 [本]

『恋するソマリア』  高野秀行 著

ソマリアと聞いて、その場所がすぐに思い浮かぶ人は稀だろう。
昨今では、海賊が横行する地域として話題になったが、
それでもまだ知名度は低い。
「アフリカの角」と呼ばれるソマリアは、
内戦の絶えない危険地帯である。しかしその中で、
奇跡的にも独自の民主主義を築き上げたソマリランドの
存在を知り、著者は関心を抱いた。
その後、ソマリ地域へ渡航した際の体験から、
ソマリ世界の謎を解き明かしていく。

民主主義達成のいきさつについては、
前作『謎の独立国家ソマリランド』に詳解されている。
ソマリランドの概論や基礎知識から紹介する必要のあった
前作に比べ、本書はよりソマリ世界により深く追究し、
多角的にとらえようとしている。
そこには、著者のソマリ世界への熱い思いが太く貫かれているようだ。

著者は、あるグループの人々の文化を理解するためには
「言語、料理、音楽」の三大要素を知ることだという。
なるほど、その三点はどの地域にも必ずあり、
しかも最も地域の特性が表れやすいものだ。
かくして著者は、外国との関係、地域の成り立ちなどに触れた後、
市井の人々の暮らしという“核心”に迫っていく。

親族以外の男性とは接触しないという
イスラムの女性たちにどう近づいていくか。
好奇心が強まるあまり、難しいと言われた目的を
どうすれば達せられるか思考をめぐらす過程が実に興味深い。
普通の家庭に入り込むのは難しいが、
新聞社の管理人一家に頼むことはできるだろう……と
徐々に歩を進め、ついにソマリア世界最大の秘境、
家庭の台所に到達した。
そこでは女性たちが料理をし、会話を楽しんでいた。
著者は念願の家庭料理を教わり、
あろうことか寝室にまで足を踏み入れ、
さらには踊りに興じる姿をも見ることができたのだ。

また最後の章では、南部ソマリアで停戦交渉ツアーに同行した際、
いきなり戦闘に巻き込まれてしまう。
銃弾を浴びる装甲車の中でなすすべもなくうろたえていた著者は、
万が一のことでもあれば、そこで命を落としてもおかしくなかった。
そんな危険と隣り合わせの状況にあってなお著者は、
土地の暮らしを見ることで、南部の豊かさを肌で感じていた。

そんな経験を持つ外国人は、
おそらく著者くらいしかいないのではないだろうか。
数々の危険を顧みず、好奇心の赴くままにどこへでも出かけていく
著者のタフネスを尊敬しつつ、半ば呆れてしまう。
ここでも、「間違う力」が炸裂しているのではないか……。

著者の作品はテーマの珍しさが魅力のひとつであるが、
なかでも本書は、誰も知らないような地域で、
ほかの人が思いもつかない方向からアプローチしている点が秀逸だ。
前作はソマリ初体験だったため、発見や出会いに満ちていて、
著者とともにソマリを知っていく楽しみがあった。
熱量も勢いもあふれる一方、まとまりに欠ける印象もあったが、
本書では当初の興奮はだいぶおさまり、
冷静に周りを捕えることができているのではないか。
ことさらに、著者を取り巻く人々の描写に磨きがかかる。
著者の“盟友”であるホーン・ケーブルTVのワイヤッブ、
同TVモガディショ支局長の剛腕姫ハムディ、
ギョロ目のザクリヤ、シャベル・ホーセ州の知事など
個性的な人たちを、実に表情豊かに描いている。

物騒なイメージしかないソマリ地域について、
これほどまでに読みやすく書かれた本はほかにないだろう。
「片想いのソマリランド」「里帰りのソマリア」
「愛と憎しみのソマリランド」「恋するソマリア」と、
昭和歌謡の曲名のように名付けられた各章のタイトルには、
著者のソマリへの強い思いがみっちり込められている。
著者はソマリ世界と、出会うべくして出会ってしまったのだ。
果たして、片想いは晴れて成就するのか。
今後、両者の関係がどう進展してゆくのか、
行く末を見守りたい。

恋するソマリア

恋するソマリア

  • 作者: 高野 秀行
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2015/01/26
  • メディア: 単行本



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『波の音が消えるまで』 [本]


『波の音が消えるまで』  沢木耕太郎 著

ノンフィクションの名手がエンタテインメントをどう描くか、
期待よりも好奇心が勝ったまま読んだが、
予想していたよりはるかに面白く読めた。
著者の語るストーリーは、
著者自身があこがれた世界、
いわゆるアナザーストーリーだったのではないか。
何かに淫し、とことんやりつくす様をフィクションとして
描き切ることで、思いを解き放ったのではないだろうか。


元カメラマンの伊津航平は写真の仕事をすっかり辞めて
サーフィンをやるためにバリ島に滞在していた。
しかしそれも時期がきたようで、日本に帰ることを決めた。
帰国の途上、香港に立ち寄ったところ、
その日がたまたま英国返還の前日だったため、
香港に宿が取れず、やむを得ずマカオに投宿した。
そこで出会ったのがバカラだ。
何気なく遊びだしたらハマり、数日の滞在予定が
いつしか何カ月にもなった。
その間、劉さんという常連と知り合ったことにより、
航平はますますバカラの深みにはまっていく。
一度は資金づくりのために日本に戻るものの、
バカラに取りつかれた航平は再びマカオへ。
もはや戻れないのか――。

返還直前のマカオ、バカラに熱狂する人々、
昏い過去をもつ航平の人物造形などがポイントを押さえて
リアルに切り取られ、映像を喚起させるのに申し分ない。
ノンフィクションの名手は、エンタテインメント小説でも、
その描写力を存分に発揮した。
さまざまな人物や事象をとことん深くまで突き詰めてきた
著者ならではと言えるだろう。
本書の一番の読みどころであるバカラの場面は、
まるでスポーツ中継のようだ。
臨場感にあふれていて、思わず息をのむ。

果てまで行きつく人の姿を描きながらも、
あまりにもきれいにまとまっていていささか惜しい。
狂気にも似たさらなる果てをみたかったとも思うが、
そこは著者の優しさだろうか、
最後に救いは残されていたのだ。
また、航平の人物造形がいささかできすぎていて、
しかも美女たちにもてまくるというのは少々鼻につくが、
同時に航平と美女たちとのロマンティックな場面は
作中において安らぎを感じさせるものになっていることは否めない。

「波」という言葉は、本書を読み解くキーワードとなろう。
航平がかつて挑んでいたハワイのノースショアの「波」、
バカラの「波」、そして人生の「波」……。
良い時もあれば悪い時もあり、
手に負えない大きさになることもあれば
さざ波のような穏やかさも見せる。
すべてを飲み込んでしまうような大きな波が全編を通して
通奏低音のようにうねりつづけ、最後には
自らを包み込むように静かにひいていった……。

かつて、著者の代表作である『深夜特急』を繰り返し読んだ。
その後、返還前のマカオのホテル・リスボアで
実際に「大小」に興じたこともあった。
あれからもう20年ほどたつが、
その後も著者の作品を読み続け、相変わらず影響され続けている。
本書を読んで、あの頃の想いがふとよみがえってきたように感じた。
これほどまでに熱のこもった著者の作品を読んだのは
久しぶりのような気がする。
湿り気を帯びたアジアの街の熱気が、
ずっと閉じこもっていたものを呼び覚ます。
守りに入っている場合ではない。
やることがいろいろあることを思い出した。

波の音が消えるまで 上巻

波の音が消えるまで 上巻

  • 作者: 沢木 耕太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/11/18
  • メディア: 単行本



波の音が消えるまで 下巻

波の音が消えるまで 下巻

  • 作者: 沢木 耕太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/11/18
  • メディア: 単行本



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『鳩の撃退法』 [本]

『鳩の撃退法』  佐藤正午 著


本を読んでいて通勤電車を乗り過ごしたのは、
本当に久しぶりだった。
先が気になるあまりに熱中し過ぎ、
ひと駅通り過ぎて、気がついた。
定時に間に合うか焦りつつも、なんとなくウレシイ。
こんなにも惹きこまれる小説を読める幸せ。
それに、なんといっても佐藤正午の5年ぶりの長編小説なのだ。


とある地方都市に大雪が降った2月28日午前3時頃、
幸地秀吉はドーナツショップで一人の男と合席になった。
本の栞がわりに千円札をはさんだ男と会話をかわし、
自宅に帰った後、幸地とその家族は、
神隠しにあったかのように姿を消してしまった。
彼らに一体何があったのか誰もわからないまま一年が経つ。

そこで登場するのが、幸地が
ドーナツショップで会った元小説家の男、津田伸一だ。
また、あんたか!
津田伸一といえば、著者の2007年に刊行された小説の登場人物だ。
わたしは『5』のレビューで、津田を“非常に感じの悪い人物”と評した。
今作でも、シニカルで一見いい加減な性格は変わらないが、
感じの悪さは少し薄れているように感じられた。
あれから少しばかり年をとったからか。
それとも、環境が変わったせいだろうか。

津田は女子大生の部屋に居候し、
高峰秀子、浅丘ルリ子といった往年の女優たちの
名前を拝借したデリヘル嬢を客の待つホテルへと運ぶ仕事をしている。
直木賞作家でありながら、いまは小説を書いていない様子だ。
古書店の店主、房州老人に、小説を書くためにパソコンが必要だから
金を貸せと言ったりするが、本気かどうかは疑わしい。
そんな中、房州老人が体調を崩して入院し、そのまま亡くなってしまった。
津田に、といって遺されたのは、錠のかかったキャリーバッグ。
錠の暗証番号はわからなかったが、
中身が気になるあまり地道な努力を重ねた結果、
キャリーバッグを開けることができた。
中に入っていたのは、なんと大量の一万円札。
数えてみると、三千万以上あった。
その大金を手にしたことにより、
津田は波乱の日々を迎えるのだった……。

軽妙で示唆に富む会話、
リアルで緻密な人物描写により、
物語の世界に一気に惹きこまれる。
言葉一つひとつに細心の気を配り、
練り上げられた文章は著者ならではだ。
さらには、伏線の張り方もじつに精巧で、
最後まで読み終えたとき、その構成の巧みさにうならされる。
著者にして、ここまでエンタテインメントに徹した作品は、
初めてなのではないだろうか。

津田伸一はもちろん、ドーナツショップの沼本(ぬもと)店員、
房州老人、「本通り裏のあのひと」、床屋のまえだ、
加奈子先輩などなど、登場する人物たちは
いずれも一筋縄ではいかず、しかも濃い。
一人ひとりのスピンオフ作品もできそうなほどだ。
映像化するならこの役者、と思い浮かべる楽しみもあるだろう。

津田伸一は作中で、
幸地一家が行方不明になった事件を下敷きに小説を書き始める。
事実に基づいてはいるが、
それがすべて事実かどうかは津田にしかわからない。
現実ではバッドエンドだったものも、
小説ならハッピーエンドにすることができる、と津田は言う。
事実とフィクションの間に介在するものとはすなわち、
作家の思惑である。
津田伸一が果たして何を書き、何を書かないのかが気になる。
もしかしたら、著者の小説に対する思いも、
津田の姿に投影されているのかもしれない。

誰かのふとした行動が思わぬ出来事を引き起こし、
気づけば大ごととなって、まわりまわって自分のところに帰ってくる。
そんな、回り続ける日常の中心にいる自分が
いちばんこの小説を楽しんでいるのだという
著者の声が聞こえてくるようだ。

著者は、『5』の脱稿後、
いくら書いてもきちんと読まれていると思えず、
小説が書けなくなってしまったという。
こんなにおもしろい小説を書く人がなぜ、
これほど知られていないのか、本当に不思議だ。
今まで何度も言っているかもしれないが、
佐藤正午の作品は、もれなくおもしろい。
一度読んだら、ほかの作品も読みたくなるはずだ。
気になったら、ぜひトライしていただきたい。

鳩の撃退法 上

鳩の撃退法 上

  • 作者: 佐藤 正午
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2014/11/13
  • メディア: 単行本



鳩の撃退法 下

鳩の撃退法 下

  • 作者: 佐藤 正午
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2014/11/13
  • メディア: 単行本



※以下、佐藤正午作品のレビュー(本ブログ)。ご参考まで。
『身の上話』
『アンダーリポート』
『5』
『彼女について知ることのすべて』
『ありのすさび』
『カップルズ』
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『離陸』 [本]

『離陸』  絲山秋子 著


国土交通省の役人、佐藤弘(ひろむ)が働く
矢木沢ダムに、ある日突然、黒人の男が訪ねてきた。
イルベールと名乗るフランス人の彼は、
弘が過去に交際していた“女優”と呼ばれる
女性を探しているという。
イルベールと彼女はどういう関係なのか。
なぜ彼女は行方不明になったのか。
なぜ彼女を探しているのか。
そして、なぜ弘の居場所がわかり、訪ねてきたのか。
多くの謎を残して彼は去った。
そののち弘はパリのユネスコへの転勤を命じられ、
それを機にイルベールに連絡を取ることに。
そして“女優”の息子である“ブツゾウ”と出会い、
冷蔵庫の修理にきたリュシーに出会い、
“女優”が関係していると思われる
「マダム・アレゴリ」という本をイルベールから見せられ、
弘の運命は、大きく動き始めるのだった。

“女優”は時空を往来しつつ、
弘の意思にかかわらず、ナビゲーターのように
彼の人生に大きくかかわった。
ファンタジックな存在でありながら、
誰よりも生きることの喜びと悲しみを教えてくれる人でもあった。
“女優”を追い求める先に、
必然性のある出来事が待ち受け、
そうした末にたどり着いたのは、
弘が心の底から求める土地や風景、人だった。

ありえないような設定さえも、
隣り合う現実のようにごく自然に読ませるのは、
著者ならではのきめ細かな描写と丁寧な言葉の選び方による。
また、登場する人物たちを見つめる視線は慈しみ深く、あたたかい。
懐の深いイルベール、愛らしいブツゾウ、
やさしくて強いリュシー、おおらかに包み込むような弘の家族たち……。
弘を取り巻く人々はそれぞれに個性的で、鮮やかな印象を残す。

現在を起点に過去をめぐり、さらには未来へとジャンプする。
時間はすべてひとつづきであり、
どんな物事も、どんな人も単独では存在しえないという
現実をあらためて感じさせられる。
人の結びつきは血縁や土地の縁にとどまらず、
むしろ、偶然のように出会った人と深く関わっていくことの方が多い。
そこにあるのは、「思い」だ。
誰かを思うことで、有機的に、やわらかくつながり、そして
生まれる大きな流れが物語全体をやわらかく包み込む。

著者の小説は、移動を描くものが多い。
なかでも、自分の意思に反して、何かに導かれるように
ある場所にたどりつくエピソードが多いように感じられる。
場所が変わると変化すること、そして変化しないことを
知ることによって、
自分の芯が見えてくることを示唆しているようだ。

セリーヌやロレンス・ダレルなど
創作のルーツとなる文学作品をはじめ、
これまで蓄積してきた著者の経験や思いが
たっぷり込められている。
壮大なスケールを感じさせつつ、どこか軽やかでさらりとしていて、
読むほどに心の中に清浄な水が湛えられていくかのようだ。

今まで中編や短編を多く描いてきた著者にとって、
約400ページの長編は冒険だっただろうか。
まだそれほどキャリアが長くはないから、集大成というより、
マイルストーンとなる作品といえるのではないか。
『離陸』というタイトルはまるで、
著者が次のフェーズへと飛び立つことを
宣言しているように思えてならない。

離陸

離陸

  • 作者: 絲山 秋子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/09/11
  • メディア: 単行本



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『ソロモンの偽証』 [本]

『ソロモンの偽証』 宮部みゆき 著


単行本が出た時に大きな話題を呼んだ本書だが、
ずっしりとした重さに耐えかねて、
文庫が出るまでひたすら待った。
文庫にしても約500ページ×6巻という長大なボリュームだ。


クリスマス・イヴの夜、都内では珍しく大雪になった。
明けて翌日、中学校内で中学2年生の柏木卓也の遺体が見つかった。
屋上からの転落死とみられ、事件性がないことから
自殺だろうとの判断が下された。
ところがしばらくして、彼の死は自殺ではなく
同じクラスの大出俊次とその仲間による
殺人だという告発状が届いた。
そこから、物語は急展開する。
彼の死は自殺か殺人か、
告発状は誰が書いたのか、告発は真実なのか――。
数々の謎がうやむやにされようとしたが、
柏木卓也と同じクラスの藤野涼子をはじめとする
生徒たちが立ち上がる。
私たちの手で真実を明らかにしたい、
そのために裁判を行いたいと。
そして夏休み、法廷はひらかれた。
判事、検事、弁護人、陪審員すべてが中学校の生徒である。
彼女たちは真実を知ることができるのか。
そして、その先にあるものは――。

物語は、柏木の同級生や兄、刑事、教師など
「事件」を取り巻く人物の視点に立って運ばれる。
その視点は違和感なく入れ替わるため、
読者は「事件」のさまざまな面をみることができる。
だが、それらすべてが真実かどうかは分からない。
謎は解けるばかりか、次第に深まっていくようだ。

中学生のメンタリティや社会背景などが表れる会話が自然で、
場面を思い描くのがたやすい。
登場人物それぞれのしぐさや口癖までも丹念に描きこむことで、
彼らの性質や環境がリアルに伝わってくる。
彼ら一人ひとりが物語の主人公になりえるほど、
さまざまな事情を抱えている。だからこそ、共感する場面も多い。
人物が多い分、読者は自分と近しい立場や年齢の人物に
共感しながら読むことができるのではないだろうか。

どんな些細な場面でもじっくりていねいに描きこまれているので
多少冗長な印象は受けるが、
一つひとつの事象ももらさず描き切りたいという
著者の強い思いが伝わってくる。

いろいろな物事が見え始め、
自らの存在を考え始める年代にある彼らが、
学校という社会の中で、あるいは家族という関係性の中で、
戸惑い傷つきながらも、自分自身の心を見つめていく。
本書で語られる裁判とは、
彼らにとって、「事件」を通して
自分を知る作業だったように感じられた。
なかでも、検事役を演じた藤野涼子の存在感が群を抜いている。
真実を追及したいという思いにまっすぐ向き合い、
大人も舌を巻くほどの判断力で調査・分析を進めていく。
こんなに大人びた中学生がいるだろうか、とは思うが、
利用できるものは最大限に利用しながらも
自らの手で成し遂げようと必死になる姿が好もしい。

2015年3月、映画が公開される予定だ。
この長大で濃密な物語をどう映像化するというのか。
監督の力量が試されるのではないだろうか。
個人的には、一気に観る映画よりも
テレビドラマで観たいような気もする。
というのは、どの場面ももらさず再現してほしいからだ。
ともあれ、オーディションで選ばれたという
「藤野涼子」に期待したい。

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

  • 作者: 宮部 みゆき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/08/28
  • メディア: 文庫



ソロモンの偽証: 第I部 事件 下巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 下巻 (新潮文庫)

  • 作者: 宮部 みゆき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/08/28
  • メディア: 文庫



ソロモンの偽証: 第II部 決意 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第II部 決意 上巻 (新潮文庫)

  • 作者: 宮部 みゆき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/09/27
  • メディア: 文庫



ソロモンの偽証: 第II部 決意 下巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第II部 決意 下巻 (新潮文庫)

  • 作者: 宮部 みゆき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/09/27
  • メディア: 文庫



ソロモンの偽証: 第III部 法廷 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第III部 法廷 上巻 (新潮文庫)

  • 作者: 宮部 みゆき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/10/28
  • メディア: 文庫



ソロモンの偽証: 第III部 法廷 下巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第III部 法廷 下巻 (新潮文庫)

  • 作者: 宮部 みゆき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/10/28
  • メディア: 文庫



<映画「ソロモンの偽証」オフィシャルサイト>
http://solomon-movie.jp/
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『世にも奇妙なマラソン大会』 [本]



『世にも奇妙なマラソン大会』  高野秀行 著


著者のモットー、
“誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、
それをおもしろおかしく書く”とは
いわば隙間産業のようなものである。
誰も知らない辺境へ出かけ、
およそ普通の人が体験しない出来事に遭遇し、
ひいては常識とは全くかけ離れた結論に到達する。
そんな作風に惹かれ、著者の作品を数々読んできたが、
本書は中でもニッチ中のニッチと言えるのではないかと思う。

ノンフィクションの短編を収録しているが、
一貫したテーマは特になく、
ひじょうにバラエティ豊か。
この一冊で、著者の素顔をある程度、
知ることができるのではないだろうか。

表題作は、アフリカのサハラ砂漠で開催される
マラソンに出場する顛末をつづる。
著者は、「どこかに何か面白いことはないか」と
夜中にネットサーフィンするうち、
サハラ・マラソンなるものを発見し、酔いに任せて
参加したい旨のメールを主催者に送ってしまった。
開催まで間もないため、まず無理だろうと思っていたのだが、
あっさりOKされマラソンに出場することになった。
それまでで最も長く走った記録が15キロ、
しかも砂漠のど真ん中を走るレースに出るといえば、
誰もが無謀と思うはずだ。
しかし著者は、後悔しつつも現地に赴き、
なんとかかんとか走り出すのだった――。
フルマラソンを走らねばならないという
過酷な状況にありながら、著者は周りを冷静に観察し、
目にした事柄を独自の目線で切り取っていく。
西サハラの置かれている立場に関しても思考をめぐらし、
風変わりなマラソンの意外に深い意義を見いだす。
最後の表彰式の場面は、
笑いに包まれるかと思いきや、感動的ですらあった。

「ブルガリアの岩と薔薇」は、
旅先で出会ったオヤジとの愛にあふれる一夜の物語。
一人旅をしていた著者は、ブルガリアのソフィアで
好意的なおじさんに出会い、家に泊めてもらうことになる。
そこで著者は、思いもかけぬ扱いを受けることになった――。

「名前変更物語」は、
かつてインドに密入国した
『西南シルクロードは密林に消える』参照)ため、
インドに入国できなくなってしまった著者が、
奥の手を思いついたことから始まる爆笑モノ。
(リンクは本ブログ内の記事。以下同)
怪魚ウモッカ探しのためにここまでやるか、と
思わず呆れてしまうが、著者のなすことが
いちいち面白くて、笑いを禁じえない。

また、「謎のペルシア商人―アジア・アフリカ奇譚集」と題して
短いエピソードが集められている。
怪談めいた話や、ガルシア=マルケスの小説に
出てくるような不思議な話ばかりで、非常に面白い。
著者の観察力と詳細な描写により、
短い話がとても巧みにまとめられている。
中でも、最後に収められた「二十年後」がいい。
サハラ・マラソンに同行した
早稲田大学探検部の先輩、竹村拡さんとの会話が
しみじみと心に残った。

表題作からエッセイに近い小品まで、
どこを切っても著者らしい。ひとことで言えば、
間違う力」が存分に発揮されている(笑)。
常人であれば危険を避けるところを、
著者はあえていばらの道を行く。
伝聞をうのみにすることなく、自身の体験を第一と考える。
困難すなわちネタの宝庫だと考えるゆえだろうが、
その姿勢をどこまでも貫いてほしいと思うのは、
高野ファンに共通する思いだろう。

ノンフィクションの硬派なイメージを
軽やかに裏切る楽しい作品集。
エンタメ・ノンフというよりも、
もはや“高野秀行”というジャンルを
確立したといってもいいのではないだろうか。
なんていったら、褒めすぎか(笑)。

世にも奇妙なマラソン大会 (集英社文庫)

世にも奇妙なマラソン大会 (集英社文庫)

  • 作者: 高野 秀行
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2014/04/18
  • メディア: 文庫



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『レッドアローとスターハウス』 [本]


『レッドアローとスターハウス』  原 武史 著


著者の『滝山コミューン一九七四』が大変面白かったので、
(そのわりにはブログにアップしていない)、
こちらもずっと気になっていて、
いまさらながら読んでみたら、やはり面白い。

著者は日本政治思想史を専門とするが、
自身の生まれ育った団地や、趣味の鉄道を
題材とする著作が多くみられる。
本書は、西武鉄道沿線の政治文化に、
鉄道、団地、西武、共産党、皇室という
キーワードからアプローチしている。

都市部の住宅不足を補うために
郊外に建てられた団地の数々は
単に住宅というだけではなく、多世帯が入居することで、
地域コミュニティーを生みだした。
そうした中、有識者や共産党の支持層を中心として
育まれた社会主義的思想とその発展について、
膨大な資料を紐解きつつ考察していく。

なぜ、西武鉄道沿線に大団地が林立しているか、
また、団地というコミュニティーから
どのような文化が生まれていったか、
さらには狭山事件などにも触れつつ、
東京郊外に広がる地域の戦後史を
細部に至るまで詳細に解説していて、
その調査力には思わず感心する。

なかでも、親米反ソであった堤康次郎の想いと反して、
旧ソ連の郊外の集合住宅と似通った
団地が次々建設され、その結果として
共産主義支持層が生まれていくくだりが非常に興味深い。

以前、猪瀬直樹の『ミカドの肖像』を読んだときにも思ったが、
堤康次郎という人物は、面白エピソードが多すぎる。
ノンフィクション作家が彼について書きたがる理由がよくわかる。

著者の専門と趣味をすべて投入し、
自身が暮らした団地への想い、思想の生まれる背景に迫る
バイタリティあふれるノンフィクション。
趣味である鉄道に関する記述が、
必要以上に多いのが気になるところだが、それもまた一興だ。

ある意味、ネタばれでもある
ロシア・アバンギャルド風の表紙も魅力のひとつといえるだろう。

レッドアローとスターハウス: もうひとつの戦後思想史

レッドアローとスターハウス: もうひとつの戦後思想史

  • 作者: 原 武史
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: 単行本



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『カヌー犬・ガク』 [本]

『カヌー犬・ガク』  野田知佑 著


野田さんの本を夢中で読んでいたのは、
かれこれ20年ほど前になるだろうか。
椎名誠の作品を片っ端から読んでいるうちに
よく登場する名前なので自然に覚えたのだと思う。

川を下り、旅先でさまざまな人々と交流し、
エッセイを書く。
そんな著者の生き方にあこがれた。
さらには、河川工事をすすめる行政側の
問題を明らかにする力強い言葉に
はっとさせられることも多かった。

本書は、著者のよき相棒として
13年間、共に暮らした犬のガクにまつわるエッセイを収録している。
中には読んだことがあるものもあるが、
こうしてまとめて読むと、ガクと野田さんの歩みが
手に取るようにわかり、
あらためて縁の深さを感じることができる。

千葉の亀山湖に暮らしているときにやってきた、
愛嬌のある顔をした小さな犬に、著者は
友人の椎名家の少年と同じ名前をつけた。

放し飼いで自由に動き回り、
丈夫に育ったガクは著者とともに世界中を旅してまわった。
中でも、カナダのユーコン川への旅は
著者とガクにとって、もっとも幸せで濃密な時間となった。
魚を釣り、クマと闘い(ガクが)、川沿いに暮らす人々と交流する。
壮大な自然のなか、思いもしない出来事もあるが、
そうした経験を通して、
著者とガクは友情を深めていった。

晩年、フィラリアがひどくなり体調を崩した
ガクの死を目前にして、著者はこう述べる。

犬は好きだが死なれると悲しいので飼わないという人がいる。 ぼくはこんな人は嫌いだ。ガクが死ぬのなら目をそらさずに じっくりと見て、看取ってやろう。 これからが犬を飼うことの本番だ、と思っている。

とうとうガクが死んでしまい、
はじめて寝室に2匹の犬(ガクの息子たち)を入れて
川の字で寝たという件では、思わず胸をつかれた。

つながれずに暮らすことのできる犬なんて、
今の日本では稀だ。
とくに都会でそんなことをすれば、
飼い主は犯罪者扱いをされる。
そうしたことを考えると、
ほとんどつながれることなく、自身の体力を信じて
自然の変化を感じ取りながら川下りを経験することのできた
ガクは、本当に幸せな犬だったのだと思う。

長年の相棒への愛情を表すとともに、
動物と暮らすことについて大切なことを問いかけている。
対等な一人と一匹として向き合ったからこそ、
分かち合うことのできる思いがある。
そういう相棒がいれば、とふと考える。

カヌー犬・ガク (ポプラ文庫)

カヌー犬・ガク (ポプラ文庫)

  • 作者: 野田知佑
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2010/06/04
  • メディア: 文庫



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