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『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』 [本]

3年くらい前に書いて、(たぶん長いから)お蔵入りしていた記事を、
最近発掘してあらためて読んでみたところ、
残しておきたい部分があったので、アップした次第。
(データ部分は、直近のものに更新した)


『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』
デイヴィッド・ミーアマン・スコット、ブライアン・ハリガン 著
糸井重里 監修/渡辺由佳里 訳

昨今の音楽市場の動向が興味深い。
ここ数年、急速に拡大している有料音楽配信の売上実績を見てみると、
2005年は34,283百万円だったのが2011年には71,691百万円とほぼ倍増し、
2014年には43,699百万円に再び減少している
(「一般社団法人 日本レコード協会」調べ)。
一方、音楽ソフト種類別生産金額は2000年の539,816百万円に対し、
2014年には254,176百万円と、半分以下にまで減少している(同)。
CDなどのソフトに代わり、
デジタルコンテンツを購入する機会、あるいは人口が
増加していることのあらわれだ。
コンテンツのデータ化が着実に進んでいる状況を
あらためてうかがい知ることができる。

1979年、ソニーのウォークマンが登場し、音楽を街に連れ出した。
その後、音源のデジタル化が進むとともに
カセットテープからCD、MD、デジタルオーディオプレーヤーへと
モバイルツールのコンパクト化も進み、
外出時に音楽を携帯するスタイルは私たちの新たな習慣として定着した。
また、これは音楽に限ったことではないが、
技術が発達するにつれてコピー時のデータ劣化が少なくなり、
そのおかげでコピーペーストにより増殖したコンテンツが
世の中に流通するようになった。
その結果として、知人や友人、あるいはインターネットを介した
コミュニケーションを通してコンテンツを共有する機会も増えている。

さらにもうひとつ興味深いデータがある。
「一般社団法人 コンサートプロモーターズ協会」の調査によれば、
いわゆる“ライブ”の年間公演数は2000年の10,500本に対し、
2013年には21,978本とほぼ倍増。
年間売上額についても、82,592百万円から231,832百万円と
3倍近くにまで増加している。

単純に公演数が増えていることもあるだろうが、
データという形でしかも低価格(ときには無料。違法にあたる場合もある)で
手軽に音源を手に入れることができるようになった半面、
“わざわざその場に行かないと体験できない”音楽に、
ユーザーが価値を置くようになったことがうかがえる。
その変化の背景には、逆説的ではあるが、
インターネットの普及の影響があるだろう。

ホームページやブログ、You Tube、ニコニコ動画、U-streamなどに
動画をアップすることが簡単にできるようになり、
“そのとき、その場で”しか見ることのできないはずの動画を
“いつ、どこにいても”見ることができるようになってしまった。
しかし、そうした間接的な“鑑賞”は、
その場にいることの特権と稀少価値を鑑賞者にあらためて知らしめ、
実際に体験することの価値を上げたのだ。
ヴァーチャルがリアルを促したということだ。
パッケージ化されたコンテンツの需要は激減し、
デジタルコンテンツは限りなく無料に近づき、
実体験の価値は上昇していく。
そのため何をどう配信すればよいのか
戸惑うミュージシャンたちが少なくないようだ。
実際、CDが売れないといわれるようになって久しい。
新たな音楽配信の形態として、
ネットをメインにすればよいのかといえば、
それでは収入を得られない現状もある。
無料化できるものと、購入する価値のあるものとに仕分け、
バランスをとりながら配信することは、それほど簡単ではないだろう。

ひところブームとなったフリーミアム
(freemiam=基本的なサービスや製品を無料で提供し、
さらに高度な機能や特別な機能について
料金を課金する仕組みのビジネスモデル)は、
すっかり受け入れられたかのように見えるが、
現実的に取り入れるには難易度が高い。
初期投資がどれほどの収益を生むか、試算を重ねてみないことには
なかなか思いきることができないものだ。

ところが1960年代、そうした言葉も定義もない頃に、
フリーミアムを実践していたバンドがあった。グレイトフル・デッドだ。
彼らはライブの録音・撮影を自由化し、
さらにはそれを複製することも許可し、リスナーたちに開放した。
すると彼らの音楽はファンのネットワークを介して広がり、
認知度が高まり、レコードの売上やライブの動員数につながったという。

前置きがたいへん長くなったが、本書では、
グレイトフル・デッドがとった古くて新しいマーケティングのノウハウ、
および彼らと同じ手法で成功したビジネス例があわせて紹介されている。

それはたとえば前述したような音源の自由化や、
ファンを大勢引き連れた団体旅行のようなライブツアー、
業者を介さず自ら行ったチケット販売方法などだ。
紹介されるノウハウは驚くほどシンプルで、
突飛なアイデアや意外性はないように思える。
さらにいえば、“売らんかな”という姿勢も見られないのだが、
なぜそれが受け入れられたのだろうか。

グレイトフル・デッドのリーダーは、
人が音楽に何を求めているか、そして何をどう発信すれば伝わるのか、
本能的に分かっていたのではないだろうか。
押しつけでなく、まず自身が楽しむために何をすればよいのかを考え、
実現するための道筋を整えた。
さらには集まったファンたちを囲い込むことをせず、自発的な行動に任せた。
その結果として、ファンのニーズに応えるシステムが
徐々に構築されていったのではないかと推測する。
グレイトフル・デッドの音楽活動を見るにつけ、
ファンの心理を的確にとらえた自然な方法に思えてくる。
だがしかし、それがどの時代にも成功するかといえば、
そうではないのかもしれない。

グレイトフル・デッドが成功した一因として、
1960年代という時代の影響も少なくないだろう。
ベトナム戦争や公民権運動、中米の共産化などが起きた時代を
背景に持つバンドとそのファンたちは、
体制や政治への反意を共通認識として持ちやすく、
結束しやすかったのではないか。そのため、
自分たちが見出したものを気の合う仲間たちと共有することに価値を置き、
一部の特権階級が独占するものではなく、みんなが心地よく過ごせる
時間や場所こそを大事にしてシェアした。
すなわち、自分たちの居場所を探し求めた結果ともいえるのではないか。
コンテンツを自由化し、仲介業者を使わず、決まったセットリストを使わず
毎回異なるパフォーマンスを繰り広げる。
そうした手作り感や、あるいは“ゆるさ”が音楽に加えてバンドの魅力となり、
さらにリスナーを増やしていった。それはやがて
コミュニティに発展し、情報を発信し始める。
現在のSNSの原形といえるのかもしれない。

音楽の特性――即時に大人数で同じ体験を共有できる――が
コミュニケーションの深化に適していたともいえよう。
ほかのメディア(例えば演劇、アートなど)であれば、
スペースや時間の関係でうまくいかなかったかもしれない。
すぐれたマーケティングノウハウに加え、
いくつもの偶然が重なった幸運な結果だったのではないだろうか。

人は一体、音楽に何を求めるのだろうか。
いわゆる娯楽、あるいは教養としてのツールであると同時に、
人とつながるためのコミュニケーションツールとしての意味合いが、
日々増してきているのではないだろうか。
コンテンツが総デジタル化しつつある世の中にあって、
デジタル化できないムダの部分を欲している、とでもいおうか。
データに求められるものはスピードと正確性だ。
それだけで充分ことは足りるけれども、
そこからそぎ落とされたムダやムラ、揺らぎといったような
イレギュラー要素やハプニング性こそが人の心に響くことを
だれもが無意識のうちに感覚として知っていて、
人と共有し、つながるためのきっかけとしている。

ビジネスは、すべてが計算ずくにはいかない。
人が本能の部分で何を求めているのかを知り、
応えていくことが必要なのかもしれない。
そうした原点を探ることにビジネスのヒントがあるということを
示唆しているようにも思えてくる。

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ

  • 作者: デイヴィッド・ミーアマン・スコット
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2011/12/08
  • メディア: 単行本



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ウォーホル×のど飴 [アート]

味覚糖から、オモシロイものが出ています。

アンディ・ウォーホルの
アート缶のど飴。

全30種類というので、
近所のコンビニを探しまわり、
ようやく見つけたこの二つ。
IMG_1810.JPG


ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの
バナナがほしかったんだが……

中身はこんな、タブレット。
味はグレープとか、ミントとか。
IMG_1812.JPG

これぞまさしく、パブリック・アート。
芸術は大衆のもの、という岡本太郎の思想そのものである。

<味覚糖ホームページ>
http://mikakuto-nodoame.jp/

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『恋するソマリア』 [本]

『恋するソマリア』  高野秀行 著

ソマリアと聞いて、その場所がすぐに思い浮かぶ人は稀だろう。
昨今では、海賊が横行する地域として話題になったが、
それでもまだ知名度は低い。
「アフリカの角」と呼ばれるソマリアは、
内戦の絶えない危険地帯である。しかしその中で、
奇跡的にも独自の民主主義を築き上げたソマリランドの
存在を知り、著者は関心を抱いた。
その後、ソマリ地域へ渡航した際の体験から、
ソマリ世界の謎を解き明かしていく。

民主主義達成のいきさつについては、
前作『謎の独立国家ソマリランド』に詳解されている。
ソマリランドの概論や基礎知識から紹介する必要のあった
前作に比べ、本書はよりソマリ世界により深く追究し、
多角的にとらえようとしている。
そこには、著者のソマリ世界への熱い思いが太く貫かれているようだ。

著者は、あるグループの人々の文化を理解するためには
「言語、料理、音楽」の三大要素を知ることだという。
なるほど、その三点はどの地域にも必ずあり、
しかも最も地域の特性が表れやすいものだ。
かくして著者は、外国との関係、地域の成り立ちなどに触れた後、
市井の人々の暮らしという“核心”に迫っていく。

親族以外の男性とは接触しないという
イスラムの女性たちにどう近づいていくか。
好奇心が強まるあまり、難しいと言われた目的を
どうすれば達せられるか思考をめぐらす過程が実に興味深い。
普通の家庭に入り込むのは難しいが、
新聞社の管理人一家に頼むことはできるだろう……と
徐々に歩を進め、ついにソマリア世界最大の秘境、
家庭の台所に到達した。
そこでは女性たちが料理をし、会話を楽しんでいた。
著者は念願の家庭料理を教わり、
あろうことか寝室にまで足を踏み入れ、
さらには踊りに興じる姿をも見ることができたのだ。

また最後の章では、南部ソマリアで停戦交渉ツアーに同行した際、
いきなり戦闘に巻き込まれてしまう。
銃弾を浴びる装甲車の中でなすすべもなくうろたえていた著者は、
万が一のことでもあれば、そこで命を落としてもおかしくなかった。
そんな危険と隣り合わせの状況にあってなお著者は、
土地の暮らしを見ることで、南部の豊かさを肌で感じていた。

そんな経験を持つ外国人は、
おそらく著者くらいしかいないのではないだろうか。
数々の危険を顧みず、好奇心の赴くままにどこへでも出かけていく
著者のタフネスを尊敬しつつ、半ば呆れてしまう。
ここでも、「間違う力」が炸裂しているのではないか……。

著者の作品はテーマの珍しさが魅力のひとつであるが、
なかでも本書は、誰も知らないような地域で、
ほかの人が思いもつかない方向からアプローチしている点が秀逸だ。
前作はソマリ初体験だったため、発見や出会いに満ちていて、
著者とともにソマリを知っていく楽しみがあった。
熱量も勢いもあふれる一方、まとまりに欠ける印象もあったが、
本書では当初の興奮はだいぶおさまり、
冷静に周りを捕えることができているのではないか。
ことさらに、著者を取り巻く人々の描写に磨きがかかる。
著者の“盟友”であるホーン・ケーブルTVのワイヤッブ、
同TVモガディショ支局長の剛腕姫ハムディ、
ギョロ目のザクリヤ、シャベル・ホーセ州の知事など
個性的な人たちを、実に表情豊かに描いている。

物騒なイメージしかないソマリ地域について、
これほどまでに読みやすく書かれた本はほかにないだろう。
「片想いのソマリランド」「里帰りのソマリア」
「愛と憎しみのソマリランド」「恋するソマリア」と、
昭和歌謡の曲名のように名付けられた各章のタイトルには、
著者のソマリへの強い思いがみっちり込められている。
著者はソマリ世界と、出会うべくして出会ってしまったのだ。
果たして、片想いは晴れて成就するのか。
今後、両者の関係がどう進展してゆくのか、
行く末を見守りたい。

恋するソマリア

恋するソマリア

  • 作者: 高野 秀行
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2015/01/26
  • メディア: 単行本



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「いやおうなしに」 [舞台]

「いやおうなしに」
1月9日(金)~1月12日(月・祝)
KAAT神奈川芸術劇場

脚本:福原充則
演出:河原雅彦
音楽:Only Love Hurts(面影ラッキーホール)
出演:古田新太、小泉今日子、高畑充希、三宅弘城
    高田聖子、山中崇、田口トモロヲ ほか


古田新太とキョンキョンが
出演するとの情報が入って、
内容も分からないまますかさずチケットをとった。
東京公演があるとも知らず、
KAATまでプチ遠征。大好きなホールだ。

この演目は、「面影ラッキーホール」の音楽にのせてつづる
「歌謡ファンク喜劇」と銘打っている。
面影ラッキーホールの音楽は、たとえば
「好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた」
「あんなに反対してたお義父さんにビールつがれて」
「俺のせいで甲子園に行けなかった」……といったような、
描写がこまかく非常に映像的かつ衝撃的な曲ばかり。
その音楽の世界を再現するため、歌詞にあてて書いた
いわゆる音楽ありきの芝居なので、
ストーリーは後付けといっていいのだろう。

高校生の時に野球部で甲子園を目指していたが、
不祥事を起こして行けなかった男とその家族、
先輩など彼らを取り巻く人々のやるせない日々を
歌と踊りを盛り込み、描いている。

古田さんとキョンキョンのやさぐれ感が半端なく、
手放しで楽しいといえる芝居ではない。
田口トモロヲや高田聖子さん、三宅弘城くんなど
ベテランぞろいのキャストの練れた演技もあいまって、
物悲しく郷愁をそそる。
そのなかでひときわ若い高畑充希という役者が
かわいらしい見た目に反して堂々としていて、とても良かった。

歌謡ファンク喜劇というだけあって、
歌えるキャストがそろった。
皆さん、声量があって聴かせるんだなー。
聖子姐さんの情感あふれる歌声に聴き惚れ、
トモロヲさんの年季の入った歌声にワクワクする。
キョンキョンは歌いだすと
たちまちアイドルになってしまうが、それもまたご愛嬌。
いつまでもかわいくて魅力的な人だ。

古田さんはテレビでみると全然よくないのに、
舞台で観ると驚くほどかっこいい(失礼)と改めて感じた。
芝居のスケールが舞台的だからだろう。
舞台で本領を発揮する人が好きだ。
全身で表現しないと伝わらないものだから、
体の隅々まで演技に入っている彼らはとても好もしい。

全体的に少々バタバタしていたけれど、
ラストに力技で無理やりまとめているところはさすが。
キョンキョンをはじめキャスト目当てで観に行ったが、
こういう芝居も悪くないと思う。

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