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『清冽』 [本]


『清冽』詩人茨木のり子の肖像
後藤正治 著

昨年あまりにも読んだ本がすくなく、
ブログの更新も怠ったため、ことしはもうちっと
頻繁に本の記事を書こうと思ったのだが、
すでに前回のエントリから1カ月以上空いてしまった。反省。
というわけで、ことしの読書記事、一発目です。

…………………………

茨木のり子という詩人が好きなことは、
以前に世田谷文学館での展示を観に行った際に書いた
(リンクは本ブログ内の記事)

茨木のり子は、戦後を代表する女性詩人として知られる。
「倚りかからず」「わたしが一番きれいだったとき」
「自分の感受性くらい」といった代表作を
国語の教科書で読んだことがある人もすくなくないだろう。

重複するが、わたしが彼女の作品をきちんと読んだのは、
遺作となった『歳月』のブックレビューを書いたときが初めてで、
美しくてしなやか、だけどゆるぎない言葉に衝撃を受け、
たちまち魅了されたのだった。

それからは、折に触れて彼女の詩を読んだり、
ていねいな暮らしぶりがうかがえる
写真集『茨木のり子の家』を眺めたりしている。

本作は、ノンフィクション作家の後藤正治の手による。
茨木のり子の追悼に際して文章を書いたことをきっかけに
彼女の読者となり、その生涯を追ってみたいという思いから
評伝を試みたという。

長きにわたり交流のあった編集者、
甥であり『歳月』を編纂した宮崎治氏、
彼女の実家であった宮崎医院のお手伝いさんたちの談話、
あるいは詩人仲間の谷川俊太郎や岸田衿子らのことばから
茨木のり子の生涯、そして詩作の背景をひもといていく。

彼女の人柄を形容するのにふさわしい言葉は、“品格”であろうか。
岸田衿子、谷川俊太郎とも彼女の行儀のよさに言及している。
谷川は、加えて
「…(略)…僕の言い方でいえば言葉を生み出す源の無意識下がきれい過ぎる。そこが物足りない」
と言い、茨木が夫・安信氏との日々をつづった遺作『歳月』を
「無意識下を解放した」として高く評価したそうだ。

しかし、無意識に潜む弱みや愚痴などを
作品として表していなければ強い人間というわけではない。
むしろ、つねに自身の弱さと闘ってきた結果といえるのではないか。
というのは、彼女の詩作の背景に
重くのしかかるのは、戦争体験だからだ。
少女のころは第二次世界大戦中で、
何事もがまんしなければならない時代だった。
敗戦を迎え、彼女のなかで大きく育っていった戦争への疑問が
彼女の表現活動、ひいては日々の生活の骨格となっていったのだと思う。
そうした経緯を思うと、それでも前を向いて生きてきた
彼女のひたむきさに胸を打たれる。
読むほどに、一つひとつの言葉の重みを感じるのだ。

わたしはどこかで、茨木のり子を人生の手本のように思っている。
詩作そのものだけではなく、
シンプルだけど地味にならない美しさ、
ゆるぎない精神性、きめ細やかな暮らしぶりな、
彼女をかたちづくるすべてのものにあこがれを感じる。

もし今の時代に生きていれば、
話してみたかった、そう思わせる人である。
きっとこれからも彼女の存在を心の片隅に
感じ続けることになるのだと思う。

清冽―詩人茨木のり子の肖像

清冽―詩人茨木のり子の肖像

  • 作者: 後藤 正治
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2010/11
  • メディア: 単行本



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