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『5』 [本]


『5』  佐藤正午 著


ラストがあまりにも衝撃的だと、
それまで感じていたことが一瞬で吹き飛んでしまうことがある。
ところが、決してそれで終わりということはなく、
1日、2日と時が経つにつれ、どこかへ去っていた思いは
徐々に還ってきて、じわじわと胸の内を侵食し始め、印象を変えてゆく。
とはいえ、この小説は衝撃的な出来事で幕を閉じるわけではない。
あまりにも予想外な終わり方に衝撃を受けたのだった。
まさか、こんなエンディングを迎えるとは思っていなかった。
そして、時間をかけて物語全体をとらえてみたとき、
すべてのエピソードがラストに向けて用意されていたことに気づいた。
それは、たとえば数学の証明問題があるときを境に
いきなり理解できるようになった感触と似ていた。
ふっ、と目の前に風穴が開くようだとでも言おうか。
読んだ直後とその後の感じ方があまりにも違うことに驚いた。


結婚8年目を迎える中志郎(なか・しろう)と
真智子夫妻は記念旅行でバリ島を訪れる。
倦怠期を迎えていたふたりはとくに話すこともなく過ごし、
そんな中、中志郎はホテルでひとりの女に出会い、
奇妙な出来事をきっかけに、妻への愛情を取り戻す――。

中夫妻の出来事を端緒として物語は始まるが、
主人公は別の人物、作家の津田伸一である。
津田伸一が登場する場面は最初のトラップだ。
それまでひっかかることなく読み進んでいたものが一瞬、面食らう。
これぞまさに、佐藤正午らしいところ。
人称の変更と場面の転換を同時に行なう仕掛けが見事である。

この津田という男が、また非常に感じの悪い人物である。
何に対しても口を出さずにいられず、いちいち皮肉を込める。
しかも、自分の本心を決して表に出さず、他人に対しては詰め寄る。
決断を常に人に委ね、自分はアクションを起こさずとも変わってゆく状況を
冷淡に、あるいは斜に構えた態度で観察している。
そんな津田と中志郎、真智子は
ある点でつながり、また離れていく。
さらには、中志郎がバリ島で出合った女・石橋も含めた
複雑な人間関係を絡ませながら、
津田のぐだぐだとした生活を中心に物語は展開する。

物語の鍵となる不思議な出来事は、
リアリティを追及した描写の中でも異彩を放つ。
しかし、その現実には起こりようもない出来事こそが、
どんなに信じているものごとでも、
時間の経過とともに変化していくという真実を浮かび上がらせる。

自分の中で変化していく感情を、中志郎は受け入れない。
その一方で、津田は端から何も信じていないかのように
見せてはいるが、実はすべてを受け入れているのではないだろうか。
女たちの気持ち、あるいは世間の自分に対する評価が
ちょっとしたきっかけで移り行くことを
抗うことなく受け止めている――かのように見える。
その点では、津田は潔いと言えるのかもしれない。


直截的な言葉をひとつも用いず、
愛情のはかなさ、危うさ、脆さを描き出している。
そこに甘さはまったくない。
簡単に愛をうたい、安い感動を押し売りする
小説を全否定するかのような、きわどく冷たい小説である。
人物、状況の描写はつねにリアルで切実だ。

人間は弱くてずるくて小さい。
そんな人間たちが右往左往する現実に親しみを覚え、
ふと安堵の思いが沸き上がってくる。
この小説は万人受けする作品ではないかもしれないが、
読む人それぞれに、何らかの思いを残すと思う。
著者のこれまでの作品が習作かと思えてくるほどに感じられた。




5

5

  • 作者: 佐藤 正午
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 単行本



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lucksun

>kanonさん
nice!ありがとうございます♪
by lucksun (2008-03-06 01:11) 

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